講演1「マラリア研究最前線」 狩野繁之 (国立国際医療研究センター 熱帯医学・マラリア研究部部長、長崎大学連携大学院客員教授)
【講演要旨】 本日は、「SDGsとマラリア」というテーマでお話しをします。2018年11月19日に改訂された「WORLD MALARIA REPORT」では、2017年の世界のマラリア患者数は2億1900万人、死亡者数は43万5000人です。憂慮すべきは、減少傾向にあった患者数に2015年から2016年、2017年と増加傾向が見られ、2030年までに世界のマラリアをゼロにするというWHOの目標は、達成が難しいと考えられます。世界の死亡者数は減少傾向にありますが、これはアフリカの死亡者数減少によるもので、日本が所属するWHO Western Pacific regionでは、その数の微増が認められます。 マラリアをelimination(排除)することの障壁として、1)マラリアの媒介蚊の吸血行動の変化(夜間屋内での吸血から薄暮薄明に屋外で吸血へ)により蚊帳による対策効果が低下、2)人口移動(特に国境を越えた移動)によるマラリアの拡散や侵入、3)アジア太平洋地域では三日熱マラリアの休眠体に対する治療の問題、4)国の辺境における保健システムの脆弱性、5)低密度原虫血症(無症候性マラリア)患者の検出と治療という課題、6)薬剤耐性マラリア(特にアルテミシニン耐性マラリア)の出現と拡散、などが書き上げられます。これらの課題の内、5)と6)について、私たちの研究成果をご紹介します。 ラオス国立パスツール研究所の中に、NCGMはここ5年間SATREPSの助成を受けて寄生虫ラボを運営しています。そのラボで得られた研究成果として、マラリアのasymptomatic parasite carriers(病原体を保有しているのに症状が現れず、従来の方法では全く診断ができないタイプ)や、新薬(アルテミシニン)に対するマラリア原虫の耐性の獲得と拡散が見られることを報告しました。 すなわち、診断可能な有症マラリア患者を氷山の一角に例えると、氷山の水面下がasymptomatic parasite carriersで、水面下の人びともやがて発症するのではないか?彼らも蚊による感染sourceになるのではないか?さらには薬剤耐性マラリアのpoolになっているのではないか?という疑問があります。ラオスSATREPSプロジェクトに導入した栄研科学のLAMP法は、この氷山のかなり深い部分も検出する高い鋭敏度があるマラリア診断法です。この様に、世界の流行地で氷山の水面下のキャリアを検出し、治療することが重要だと考えています。 薬剤耐性について、我々はパスツール国際ネットワークと共同で、2014年に世界の59の地域における1万3,000余りの検体で、K13 mutation(アルテミシニン耐性の責任遺伝子の変異)が入っている株の分布を報告しました。すると、カンボジアやミャンマーなどの地域では、半数以上の原虫にK13 mutationが見られ、ラオスでも20%がそうであるという事実が得られました。さらに2016年、ラオスの詳細な地域区分によって行った調査では、変異の陽性率に、南部のAttapeu、Champasakで以前に比べて莫大な増加が見られました。これらの事実を受けて、ラオス国内でアルテミシニン耐性マラリアの拡散に対する特別な対応に関する政策提言を行っています。 さて「ミレニアム開発目標(MDGs)」では、エイズ、結核、マラリア対策は8つのゴールの内の重要な1つでありましたが、SDGsではヘルスの課題は17ゴールの中の1となり、マラリアの課題はその中の1つのターゲットに納まりました。しかし、マラリアを分野横断型の重要課題と捉え、マラリア対策こそ、議論する余地もなく、ほとんど全てのSDGsの達成につながっていると主張します。 SDGsの17個のゴールを米国国立医学図書館が定める生命科学用語集のMesh termとし、マラリアのMeshと比較して、関連する論文がどのぐらい出ているか調べました。すると、貧困(Poverty)の減少はマラリアの減少につながり、また逆にマラリアの減少は貧困の減少につながるということが言えてきます。さらに教育(Education)との関係で、子供が勉強を一生懸命して知識が上がっていけば、マラリアに対する予防法を吸収できて罹患率が下がってくること。逆に、子供のマラリア治療が優先されれば、学校へのabsenteeismが少なくなって勉学ができるようになる、という関係性も強く指摘されます。Genderとの関連も強く、マラリアの対策は妊婦さんを特に守り、女性がマラリアの家族の面倒を見なくなれれば、その分、社会進出ができるようになる、という記載もあります。 その他、マラリアと水の安全、地球の温暖化、格差の縮小、平和の構築などとの関連も強く示唆されており、マラリアとSDGsとのpositive synergiesという社会学的な考察が極めて重要な課題になると考えています。私たちは、SDGs達成を加速化するためのマラリア対策を今後共に考えていきたいと思っております。
講演2「ベクターコントロール」 水野達男 (マラリア・ノーモア・ジャパン専務理事)
【講演要旨】 ベクターとは、昆虫媒介性の疾病を媒介する昆虫(蚊、ハエ、サシガメ等)のことです。これらの昆虫をどのようにコントロールし、媒介害虫を防除することによって媒介する疾病を減らしていくかというのが「ベクターコントロール」の目的になります。近年、マラリアに関して言えば、媒介害虫により疾病に罹患する患者数は減少傾向にあります。この患者のうち、5歳以下の乳幼児の比率も減少傾向にありますが、それでも半数以上(約60%)割合は、乳幼児の死亡が占めています。 虫が媒介する疾病には、マラリア以外にも、デング、ジカ、フィラリア、日本脳炎やシャーガス病等の病気があり、それらの病気には先述した、媒介害虫の蚊、ハエ、サシガメ等が媒介していますが、中でも蚊が最も人間を殺すことに関与する動物だと言われています。その数はとても大きく、年間約83万人となっています。中でも、一番多くの人が亡くなっているのが、マラリアです(約44万人)。 ベクターコントロールの技術として、大きく4つの技術があります。 有名なものが、殺虫剤を付与した「長期残効蚊帳」Long Lasting Insecticidal Net(略称 LLIN)です。国際機関のマラリア対策全体の費用の多くは、この蚊帳に使われています。この技術は非常にコストエフェクティブで、安価(1000円以下)で長期の使用が可能(約3年)になっており、それが幅広く普及した要因です。初期(1995年~2000年)では、妊婦や5歳以下の子どもを対象に薬剤がついていない蚊帳が支給され、定期的に薬剤(殺虫剤)に浸して、乾かしてから使用するというものが奨励されましたが、現地での薬剤への浸漬がうまく普及せず、効果を発揮するのが難しかったため、WHOが、長期使用しても効果が持続する、現在使用しているようなタイプ(2000年当時は、ベスタ―ガード社や住友化学等の会社が開発に携わりました)、つまり、洗濯しても薬剤の効果が持続する蚊帳を推奨しました。そこに、グローバルファンドや世界銀行の基金、USAIDの資金が集まり、さらに、2008年に、それまで妊婦と5歳以下の子どもを対象に配布されていた蚊帳が、各家に2個(ユニバーサルカバレッジと呼ぶ)使用されるようになり、大幅に普及が進みました。直近でもWHOが推奨するベクターコントロール用の蚊帳は19種類もあり、ほとんどすべての製品にピレスロイドという薬剤が使用されています。 2つ目は屋内での薬剤残留散布IRS(Indoor Residual Spray)です。これには、ピレスロイド系のものが19種類、カーバメイトが1種類、ネオニコチノイドが1種類あり、比較的有効成分の系統の数が少なくなっています。現地では、人(特別にチームを組んで)が実際に散布器を用いて薬剤を屋内の壁に散布しなければならず、それでいて効果持続時間が短い(3か月~6カ月)ため、蚊帳よりも高いコストがかかってしまい、あまり普及していません。 3つ目は、蚊が発生する水場に処理をして、ボウフラあるいは卵を駆除する方法、Larvicidingがあります。 そして最後、4つ目は、マラリアでの運用はマイナーですが、デング熱やジカ熱等を引き起こす、熱帯で日中活動する蚊に対して使われる屋外での空中散布、Space Sprayというものがあり、これはピレスロイド系と有機リン系など、複数の薬剤が混合されたものが現在登録、普及されています。 現状としては、これらの技術を複合的に使用することで、薬剤抵抗性をなくしていったり、防除の効率化を図ったりする動きが起こっています。これを、Integrated Vector Management(IVM)と呼びます。 元来、アフリカではマラリア防除のために、蚊帳が有効だという知識はありませんでした。つまり、このことを現地の方に知ってもらうことが重要な課題でした。また、マラリアの原因が、蚊が原虫を媒介することだということを知らない人も沢山いましたし、今でも、そう思っていない人もある程度の割合でいると思います。 SDGsのひとつ前の国連の開発目標は、MDGs(Millennium Development Goals)と呼ばれ、この時代は、貧困をなくすことが、大きな目標でした。そのための一つの手段として、タンザニアに工場をつくって、現地雇用を創出しながら蚊帳を作るということを、2000年代前半に住友化学が始めました。その頃から、先にあげた防虫剤付与した蚊帳の効果性、経済性が広く認められ、大きなマラリア対策への転換・変更みたいなものもあり、現状としては蚊帳が広く使われるようになりました。マラリア対策においては、先にあげたIRS(屋内残留散布)という技術もなければいけない方法なのですが、貢献度としては、蚊帳が約7割、あと、抗マラリア薬の投薬で減る部分2割、そして屋内残留散布が約1割で、やはりLong Lasting Insecticidal Netの貢献度は非常に高かったという報告がされています。 さて、これからどんな技術が進んでいくか?どんな課題があるのかということですが、現在3つの領域で技術が進んでいます。ひとつは、蚊の吸血行動の変化です。屋内に薬剤を散布したり、あるいはたくさんの蚊帳が使われることになって、蚊の吸血行動にも変化が起きてきました。つまり、従来は、夜 屋内で人が蚊に刺されることでマラリアは伝搬するということでしたが、蚊は屋外でも人を吸血するようになってきたのです。この吸血行動の変化に対しても、どう対策をしていくかということが、WHOで議論・検討をされています。事例としては、家の外壁に「Attractive Target Sugar Bait」と呼ばれる蚊があつまるようなプレートを屋外の壁に仕掛ける技術、「Push &Pull」と呼ばれる「忌避」と「誘引」をセットで利用する技術、さらに、「Housing Modification」と呼ばれる「Eave Tube」を家の屋根の下に取りつけて、蚊をまとめて誘引する方法などです。 もうひとつ、今問題になりつつあるのが殺虫剤への抵抗性の発達です。マラリアのベクターコントロール対策の主流となる「蚊帳」でも、「屋内残留散布」でも広く使われてきた殺虫剤のほとんどがピレスロイド系の薬剤で、その薬への抵抗性が出てきています。そこで、WHOは、従来のピレスロイド系殺虫剤にPBO(という抵抗性を回避する化合物を混合した)ネットの奨励を始めました。また、現在、全く新しい作用性を持った殺虫剤を混合し、二つ以上の作用を持った薬剤付与された蚊帳を市場導入というのが、今、幾つかの国際機関(UnitaidとIVCC)が協力して積極的に検討されています。 そしてもう一つ、「屋内残留散布」に使用する薬剤の種類を変えることで、抵抗性の発達を抑えることです。統合的な媒介害虫対策、Integrated Vector Management(IVM)が奨励されつつあります。ただ、先に説明したように、屋内残留散布のコストが高いので、このコストを補填するような仕組み「Co-Paymentプログラム」が複数の国際機関(ここでも、Unitaid)の協力で2016年から実施されています。 最後に、遺伝子ドライブという技術を紹介しましょう。これは、従来の技術とは全く違い、薬剤などで昆虫をやっつけるというのではなく、蚊の遺伝子を組み換える技術です。 オスに特殊な遺伝子を組み入れることで、交尾したメスからは、その改変したオスの蚊しか生まれないという技術です。この技術を利用して結果的に、改変された種のオス(マラリアを媒介するハマダラカの一種類)だけが交尾を繰り返すことで、多数の世代を経てその種の蚊を絶滅させるという技術です。但し、この技術はまだまだこれからの技術で、研究施設の中だけで成功したと報告されています。この技術の自然界への投入の是非について相当な議論(Public Acceptance)が必要になるでしょう。この技術も、すでにWHOでは、議論、検討が進んでいます。 まとめになりますが、2000年から2015年の15年間で、ピレスロイド系殺虫剤を付与した長期残効型の殺虫剤付与蚊帳(LLIN)が広く普及して、夜、屋内で蚊に刺される人の数は大幅に減り、マラリアにかかる人、亡くなる人の数が大幅に減りましたが、今は、そのピレスロイド系殺虫剤の抵抗性が問題になってきており、従来のピレスロイド系殺虫剤に新しい作用性を持った補完剤や殺虫剤を混合し、二つ以上の作用を持った薬剤付与された蚊帳の研究・開発や市場導入が検討されています。また、屋内残留散布でも、ピレスロイド系ではない薬剤と組み合わせてより効果的、効率的に媒介害虫をコントロールするIntegrated Vector Managementという概念が押し進められています。従って、今後も、マラリア対策のベクターコントロールでは これらの「新規の薬剤抵抗性対策蚊帳」と「屋内残留散布」が主流ですが、蚊の屋外での吸血が起きていることで、それらに対応したツールが加わります。さらに、全く新しい遺伝子Driveという遺伝子組み換え技術があり、対象となる疾患を媒介する種類の蚊だけ、マラリアの場合は対象とするハマダラカの種だけを絶滅させることでマラリアを制圧するという技術が存在しますが、「パブリック・アクセプタンス」を含め、この技術の実用化には、少し時間はかかると考えます。